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京都地方裁判所 昭和61年(ワ)2836号 判決 1992年7月17日

原告 ギオン自動車株式会社

右代表者代表取締役 仲辻昭三

原告 アオイ自動車株式会社

右代表者代表取締役 仲辻昭三

右二名訴訟代理人弁護士 坂本正寿

同 谷本俊一

被告 国

右代表者法務大臣 田原隆

右被告指定代理人 井越登茂子 外八名

主文

一  被告は、原告ギオン自動車株式会社に対し、金一〇九万二八四六円及び内金二九万八六一四円に対し昭和六三年四月一日から、内金三〇万九七四二円に対し平成元年四月一日から、内金三二万三五九四円に対し平成二年四月一日から、内金一六万〇八九六円に対し平成三年四月一日から、各支払い済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告アオイ自動車株式会社に対し、金一三三九万九一三二円及び内金二四〇万一五九二円に対し昭和六一年四月一日から、内金三一五万四八七二円に対し昭和六二年四月一日から、内金二八九万二五〇六円に対し昭和六三年四月一日から、内金三〇一万六二六〇円に対し平成元年四月一日から、内金一九三万三九〇二円に対し平成二年四月一日から、各支払い済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ギオン自動車株式会社に対し、金四、四一五、二五一円及び内金七一三、三三五円に対し昭和六二年四月一日から、内金一、四九三、〇六七円に対し昭和六三年四月一日から、内金一、二三八、九六七円に対し平成元年四月一日から、内金八〇八、九八六円に対し平成二年四月一日から、内金一六〇、八九六円に対し平成三年四月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告アオイ自動車株式会社に対し、金一六、〇四二、〇〇八円及び内金二、四〇一、五九二円に対し昭和六一年四月一日から、内金三、一五四、八七二円に対し昭和六二年四月一日から、内金三、六一五、六三三円に対し昭和六三年四月一日から、内金三、七七〇、三二五円に対し平成元年四月一日から、内金二、七〇七、四六三円に対し平成二年四月一日から、内金三九二、一二三円に対し平成三年四月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  被告敗訴の場合仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

(原告ギオン自動車の請求)

一  請求原因

1 原告ギオン自動車株式会社(以下「原告ギオン自動車」という。)は、一般乗用旅客運送事業を営む会社(いわゆるタクシー会社)であるが、昭和五七年一〇月から昭和五九年二月まで、訴外山内昇(以下「山内」という。)をタクシー運転手として雇用した。

2 交通事故の発生

山内は、昭和五九年二月四日午前〇時四二分ころ、原告ギオン自動車のタクシー運転手として業務に従事中、京都市上京区上立売上ル先路上において、訴外川崎修(以下「川崎」という。)運転の普通乗用自動車に追突され、同日、福島病院において外傷性頚部症候群との診断を受けた。

3 労働者災害補償保険給付の受給

山内は、前記2の交通事故により業務上負傷したとして、事故以来、昭和六一年九月三〇日まで、京都下労働基準監督署を通じて、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付及び休業補償給付(以下「労災保険給付」という。)を受け続けた。

4 支給要件を欠く労災保険給付の存在

(一) 労災保険給付の支給要件

労災保険法上の業務災害に関する保険給付(同法七条一項一号)たる療養補償給付及び休業補償給付は、労働者が業務上負傷した場合を対象にするものである(同法第一二条の八第一項第一号、第二号、労働基準法七五条、七六条)が、右各給付は、受給者が、「治癒」の状態になるまで行なわれるものであるから、受給者の治癒の後には、いずれもその支給要件を欠くに至る。

ここにいう治癒(以下「治癒」というときは、次に述べる意味で用いる。)とは、症状が安定し、疾病が固定した状態にあるものをいうのであって、治療の必要がなくなったもの、すなわち、疾病の場合には、急性症状が治まり、慢性症状が残っていても、医療効果が期待しえない状態になったときには、治癒の状態になったとみられるものである。

(二) 山内の支給要件の欠缺(負傷事実、治癒時期について)

(1)  前記2の交通事故は、信号待ちのため停止中の山内運転の被害車両に、川崎運転の加害車両が追突したものであるが、これによる山内運転の被害車両の破損は後部バンパー及び後部バンパー下のスカートの部分にわずかな擦過痕が存するだけであり、また加害車両の破損は、左前フェンダー、左前ライト枠に軽い変形があるにすぎず、このような各車両の破損状況からは、追突車両の追突瞬間の速度は高々時速一〇キロメートル程度と考えられる。

(2)  右(1) の事故状況に照らすと、前記2の事故によって、山内に外傷性頚部症候群が発症することはありえず、山内の負傷の事実は存在しないから、山内に対する全ての労災保険給付は支給要件を欠くものである。

(3)  仮に、山内が負傷したとしても、長くとも二カ月後には治癒しており、また、たとえそのころに治癒していないとしても、支給打切りの昭和六一年九月三〇日より前に治癒しており、それ以降は支給要件を欠くのだから、山内に対する労災保険給付のうち、少なくとも一部は支給要件を欠くものである。

5 労働基準監督署長等の過失及び国の責任

(一) 山内関係での労働基準監督署長等の過失

原告ギオン自動車は、京都下労働基準監督署の担当官に対し、昭和五九年八月末ころから昭和六一年八月二八日まで、再三に亘って、前記2の交通事故につき、被害車両(山内が運転していたタクシー)の事故後の写真等を提出するなどして、人身事故に至るような事故状況ではなかった旨説明した上、山内が不正に労災保険給付を受けようとしているので、監督署に与えられている権限を適切に行使して調査を行い、山内に対する保険給付は行なわないよう申入れをし、また、山内への支給開始後は、その打切りを申し入れた。

労働者災害補償保険制度は、全国の事業主の保険料と国の財政負担によって運営されているのであるから、その公正な運営を管掌している京都下労働基準監督署の署長及び担当官(以下「京都下労働基準監督署長等」という。)は、山内の傷病が患者の自覚症状を中心とするいわゆる鞭打ち症である上、右のような原告ギオン自動車からの申入れの事情も存していたのだから、山内の症状につき疑いを持ち、治療担当医に更に精密な診断を求めたり、労災病院その他信頼の出来る医療機関による厳格な診察を求める等の適切な調査をして山内の症状を的確に把握した上、山内に対する支給要件の無いことを認定し、山内に対する保険給付の不支給処分をすべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、治療担当医の診断書を鵜呑みにして、漫然と山内に対する保険給付を続けた過失がある。

(二) 被告の責任

原告ギオン自動車は、かかる京都下労働基準監督署長等の過失により後記6の損害を蒙ったから、被告には国家賠償法一条に基づく損害賠償の責任がある。

6 損害

原告ギオン自動車の損害は、実際に支払った労働保険料と山内に対する違法な保険給付がなかったと仮定した場合に算出される労働保険料との差額である。

(一) 労働保険料制度の概略

労働保険の保険料の徴収等に関する法律によれば、事業主が負担する各年度の労働保険料の額は、次の計算式のとおり、当該事業に使用する全ての労働者に支払う各年度の賃金の総額に、各年度の労災保険率を乗じた額である。

各年度の労働保険料=各年度の賃金の総額×各年度の労災保険率

(なお、労災保険率は、通勤災害に係る部分(一律一〇〇〇分の一)とその他の(通勤災害にかかる率を除いた)部分とから成っているが、以下においては、特にことわりがない限り、「労災保険率」というときは、通勤災害にかかる率を除いた部分のことを指すこととする。)

そして、各年度の労災保険率の算出方法については、一定の事業には、メリット制といわれる制度が採られており、個々の事業毎の収支率(「メリット収支率」といわれる)に応じて、事業の種類毎に定められた標準保険率(但し、通勤災害に係る率(一律一〇〇〇分の一)を除いた部分。なお、以下、特にことわりがない限り、「標準保険率」というときは、通勤災害に係る率を除いた部分を指す。)に増減の修正がされることになっている。具体的には、ある年度の「メリット収支率」(別表(一)記載の算式(但し、昭和六三年度以降は、別紙18記載の算式)により算出される。)の値が八五パーセントを超えるときには、別表(二)記載の増率の定める数値に従って、その年度の労災保険率が増率される。

ところで、前記「メリット収支率」の算出式をみるに、右算式の分子には、「基準となる一二月三一日以前三年間(但し、昭和六三年度以降は、基準となる三月三一日以前三保険年度間)に業務災害に関して支払われた保険給付の額」の項が含まれているため、ある年度の業務災害に関する保険給付額が増加すると、右算式の分子の部分の値が増大するから、その次年度のメリット収支率が増加することとなり、もしその結果、別表(二)記載の増減率の定める数値が上昇することになれば、次年度の労災保険率が増率され、ひいては、次年度の労働保険料が増額することになるわけである。

(二) 原告ギオン自動車の損害額の算出

(1)  前記4(二)(2) のとおり、山内に対する昭和五九年以来の全ての保険給付は、京都下労働基準監督署長等の過失により、支給要件を欠くことを看過したままに行なわれた違法なものである。

このことを前提にすると、原告ギオン自動車は、前記メリット制の適用を受ける事業であるから、山内に対して支給要件を欠いた違法な業務災害に関する労災保険給付がされたことによって、原告ギオン自動車に係る業務災害に関する保険給付額が増加し、前記メリット制の適用に際し、労災保険率が上昇したことで、原告ギオン自動車は、山内に対する違法な保険給付がなかった場合に比べて余分に保険料を徴収されることになった。

したがって、原告ギオン自動車が実際に支払った労働保険料と、山内に対する違法な保険給付がなかったと仮定した場合に算出される労働保険料との差額が損害額となる。以下、損害額を順に算出する。

別紙19は、原告ギオン自動車に係り現実に業務災害に関して支払われた昭和五七年から平成元年までの各年の労災保険給付額であり、別紙20は、山内に対して支払われた全ての労災保険給付の昭和五九年から同六一年までの各年の額であり、別紙21は、右両者の各年の差額で、これが、山内に対する違法な保険給付がなかったと仮定した場合の修正計算後の、原告ギオン自動車に係り現実に業務災害に関して支払われた昭和五七年から平成元年までの各年の労災保険給付額となり、前記の収支率計算式の分子の基礎となる数値である。

別紙22は、原告ギオン自動車が、従業員等に対して支払った昭和五六年から平成二年までの各年度の賃金総額である。

別紙23は、原告ギオン自動車が現実に支払った確定保険料(但し、労災保険率から通勤災害にかかる率(一〇〇〇分の一)を減じた部分。なお、以下、特にことわりない限り、「確定保険料」とは、労災保険率から通勤災害にかかる率を減じた部分を指す。)の各年度(昭和五六年度から平成二年度)の額であり、別紙24は、原告ギオン自動車が現実に申告した概算保険料(但し、労災保険率から通勤災害にかかる率(一〇〇〇分の一)を減じた部分。なお、以下、特にことわりない限り、「概算保険料」とは、労災保険率から通勤災害にかかる率を減じた部分を指す。)の昭和五九年から平成二年までの各年度の額であり、前記の収支率計算式の分母の基礎数値として用いられるものである。

別表25ないし30は、以上の基礎数値を別表(一)記載の算式(但し、昭和六三年度以降は、別紙18記載の算式)に当てはめて、昭和六〇年度から平成二年度までの各年度の収支率を計算しなおした上、右修正後の収支率に該当する別表(二)記載の増減率に従って、標準保険率(〇・〇〇六)を増減させて、その年度の労災保険率を算出したものである。

このようにして算出された修正後の各年度の労災保険率に、原告ギオン自動車が従業員等に対して支払った各年度の賃金総額を乗ずると、各年度の修正計算後の労働保険料の額が得られる。この各年度の修正計算後の労働保険料の額と、原告ギオン自動車が現実に支払った各年度の確定保険料の額とを比較すると、昭和六一年度以降は、現実に支払った各年度の確定保険料の額のほうが各年度の修正計算後の労働保険料の額(別紙31)よりも多額となり、その各年度の差額を計算すると、別紙32のとおりである。

右の各年度の差額の合計である金四、四一五、二四一円が、原告ギオン自動車の蒙った損害の額である。

(2)  仮に、山内の負傷の事実が存在したとしても、前記4(二)(3) のとおり、山内に対する労災保険給付の少なくとも一部には違法な部分が存するゆえ、このことにより、右(1) の場合と同様に、原告ギオン自動車は、山内に対する違法な保険給付がなかった場合に比べて余分に保険料を徴収されることとなり、右(1) と同様の計算方法によって算出された差額が損害額となる。

(3)  なお、原告ギオン自動車は、遅くとも年度の最終日たる三月三一日までには、各年度の労働保険料の支払いを終えている。

7 よって、原告ギオン自動車は、被告に対し、国家賠償法一条の損害賠償請求権に基づき、金四、四一五、二五一円及び内金七一三、三三五円に対し昭和六一年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六二年四月一日から、内金一、二三八、九六七円に対し昭和六三年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六三年四月一日から、内金一、二三八、九六七円に対し昭和六三年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成元年四月一日から、内金八〇八、九八六円に対し平成元年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成二年四月一日から、内金一六〇、八九六円に対し平成二年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成三年四月一日から、各支払い済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否等

1 請求原因1ないし3の各事実は認める。

2(一) 請求原因4(二)の事実のうち、信号待ちのため停止中の山内運転の被害車両に、川崎運転の加害車両が追突したことは認め、被害車両及び加害車両の各破損状況は、知らず、その余は否認する。

(二) 山内の負傷の事実については、山内の事業主である原告ギオン自動車がその旨証明した第三者行為災害届、自動車安全センター京都府事務所長が人身事故である旨証明した交通事故証明書及び事故後に山内を診断した福島昌彦医師作成の診断書からみて、明白である。

(三) 山内の治癒の時期については、山内は、昭和六一年八月二六日、京都下労働基準監督署長の発した受診命令に基づき、国立京都病院医師大谷碧の診断を受け、その際、同医師により治癒の診断がされているのだから、右診断に依拠して、支給打切り時である同年九月三〇日を以て治癒したものとみるのが正当である。

3(一) 請求原因5(一)の事実のうち、労働者災害補償保険制度が、全国の事業主の保険料と国の財政負担によって運営され、労働基準監督署の署長らが、その公正な運営を管掌していること、原告ギオン自動車が、京都下労働基準監督署の担当官に対し、山内に係る交通事故につき、被害車両(山内が運転していたタクシー)の事故後の写真等を提出したことは認め、その余は否認する。

同5(一)の京都下労働基準監督署長等に過失があるとの主張及び同5(二)の被告に国家賠償法一条の責任があるとの主張は争う。

(二)(1)  労災保険法及び同法施行規則では、労災保険給付の適正を図るため、保険給付の支給手続過程において定期的に提出が義務付けられている各種診断書、レセプト等につき、労働基準監督署の署長らによる各種審査手続を設けている(労災保険法施行規則一八条の二第二項、同一九条の二参照)が、山内に対する労災保険給付では、右各審査手続はいずれも履践されており、したがって、山内に対する労災保険給付は、厳正な審査を経た正当なものである。

(2)  また、労災保険法所定の、労災保険給付を受けている労働者の症状の調査のための各種規定(同法四七条、四七条の二、四七条の三、四九条参照)は、いずれも労働基準監督署長に権限を与えたものであり、その行使は行政庁の自由裁量に委ねられているものである。

ところで、京都下労働基準監督署長は、山内の症状の把握のため、右各種権限を行使して、以下の調査をしている。まず、昭和五九年一〇月一二日、山内の治療医である福島昌彦医師に対し、労災保険法四九条に基づき、山内の症状に関する意見書の提出を求め、同月一五日に同医師から提出された意見書を審査し、その結果、山内については、保険給付を継続すべき症状にあると判断した。

次に、昭和六一年二月二四日、労災保険法施行規則一九条の二に基づいて山内から提出された「傷病の状態等に関する報告書」に添付された社会復帰センター医務室医師宮田学作成の診断書の記載から、山内の症状についての調査の必要ありと判断し、同年七月七日、第二京都回生病院医師伊勢田幸彦に対し、労災保険法四九条に基づき、山内の症状に関する意見書の提出を求め、同月一一日に同医師から提出された意見書を審査し、その結果、更に詳細な調査の必要ありと認め、四七条の二に基づき、山内に対し、昭和六一年八月二六日、国立京都病院医師大谷碧の診断を受けるよう命じた。同月三〇日には、同大谷医師から、右診断に基づく山内の現症状についての意見書の提出を受け、右各医証を精査した結果、山内においては、同年九月三〇日を以て、治癒の状態に至ったと判断した。

このような京都下労働基準監督署長が実施した各調査の内容、時期等に照らすと、京都下労働基準監督署長の山内に対する調査権限の行使・不行使等につき、裁量権の濫用・逸脱はない。

4 請求原因6(二)(1) の事実のうち、原告ギオン自動車が、メリット制の適用を受けること、山内に対する労災保険給付は業務災害に関してなされたものであること、原告ギオン自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五七年から平成元年までの各年の労災保険給付額(別紙19)、原告ギオン自動車が従業員に対して支払った昭和五六年度から平成二年度までの各年度の賃金総額(別紙22)(但し、昭和六〇年度は、四六一、八二二、〇〇〇円の誤りである。)、原告ギオン自動車が現実に支払った昭和五六年度から平成二年度までの各年度の確定保険料の額(別紙23)(但し、昭和六〇年度は、三、八七九、三〇四円の誤りである。)、原告ギオン自動車の昭和五九年度から平成二年度までの各年度の概算保険料の額(別紙24)(但し、昭和六一年度は三、八七九、三〇四円の誤りである。)は認め、その余は否認する。

同6(二)(1) 及び(2) の、原告ギオン自動車に損害が発生したとの主張は争い、同6(三)の点は、明らかに争わない。

(原告アオイ自動車の請求)

一  請求原因

1 原告アオイ自動車株式会社(以下「原告アオイ自動車」という。)は、一般乗用旅客運送事業を営む会社(いわゆるタクシー会社)であるが、昭和五一年九月から昭和五四年九月まで、訴外高原時夫こと高原曄(以下「高原」という。)を、昭和三九年二月から昭和五五年四月まで、訴外林晃(以下「林」という。)を、それぞれタクシー運転手として雇用した。

2 交通事故の発生

(一) 高原関係

高原は、昭和五二年三月二一日午後三時二五分ころ、原告アオイ自動車のタクシー運転手として業務に従事中、京都市左京区下鴨前萩町五-一先路上において、訴外前田廉之(以下「前田」という。)運転の普通乗用自動車に追突され、同日、葛岡整形外科病院において頚部捻挫と診断された。

(二) 林関係

林は、昭和五三年七月八日午前〇時三五分ころ、原告アオイ自動車のタクシー運転手として業務に従事中、京都市中京区西堀川通蛸薬師上ル先路上において、訴外青山政則(以下「青山」という。)運転の普通乗用自動車に追突され、同日、城北病院において外傷性頚部捻挫と診断された。

3 労働者災害補償保険給付の受給

(一) 高原関係

高原は、前記2(一)の交通事故により業務上負傷したとして、昭和五四年四月二一日以降、昭和六一年七月三一日まで、京都上労働基準監督署を通じて、労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付(以下「労災保険給付」という。)を受け続けた。

(二) 林関係

林は、前記2(二)の交通事故により業務上負傷したとして、事故以来、昭和六一年八月三一日まで、京都上労働基準監督署を通じて、労災保険法に基づく労災保険給付を受け続けた。

4 支給要件を欠く労災保険給付の存在

(一) 労災保険給付の支給要件

(原告ギオン自動車の請求)の請求原因4(一)と同じ。

(二) 高原の支給要件の欠缺(治癒の時期について)

昭和五三年七月ころ以降は、高原には治療効果が見受けられないばかりかかえって種々の愁訴が出たことからみて、高原は、昭和五三年七月ないし九月下旬ころには、治癒の状況に至ったものであり、それ以降の労災保険給付は支給要件を欠くものである。

仮に、高原が、右の時期に治癒していないとしても、支給打切りの昭和六一年七月三一日より前には治癒しており、それ以降の高原に対する労災保険給付の少なくとも一部は、支給要件を欠いている。

(三) 林の支給要件の欠缺(治癒の時期について)

林については、昭和五五年当時の症状と労災保険給付の支給打切りの昭和六一年八月当時の症状とがほとんど変わりないことや、上京病院の医師の作成にかかる昭和五五年から昭和六一年までの診断書には、毎年、症状が「一進一退」であると記載されていたことからみて、遅くとも昭和五五年一二月ないし昭和五六年七月上旬ころには症状が固定して、治癒の状態に至ったものであり、それ以降の労災保険給付は支給要件を欠くものである。

仮に、林が、右の時期に治癒していないとしても、支給打切りの昭和六一年八月三一日より前には治癒しており、それ以降の林に対する労災保険給付の少なくとも一部は、支給要件を欠いている。

5 労働基準監督署長等の過失及び国の責任

(一) 高原関係及び林関係での労働基準監督署長等の過失

労働者災害補償保険制度は、全国の事業主の保険料と国の財政負担によって運営されているのであるから、その公正な運営を管掌している京都上労働基準監督署の署長及び担当官(以下「京都上労働基準監督署長等」という。)は、高原及び林の傷病が患者の自覚症状を中心とするいわゆる鞭打ち症である上、両名の治療期間が長期に亘ることや、提出される診断書の記載内容がいつも同じであることから、両名の症状に疑いを持ち、治療担当医に更に精密な診断を求めたり、労災病院その他信頼の出来る医療機関による厳格な診察を求める等の適切な調査をして両名の症状を的確に把握した上で、高原については昭和五四年一月一日以降、林については昭和五七年一月一日以降、それぞれに対する支給要件の無いことを認定し、高原らに対する労災保険給付の不支給処分をすべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、治療担当医の診断書を鵜呑みにして、漫然と高原、林の両名に対する保険給付を続けた過失がある。

(二) 被告の責任

原告アオイ自動車は、かかる京都上労働基準監督署長らの過失により後記6の損害を蒙ったから、被告には国家賠償法一条に基づく損倍賠償の責任がある。

6 損害

原告アオイ自動車の損害は、実際に支払った労働保険料と高原らに対する違法な保険給付がなかったと仮定した場合に算出される労働保険料との差額である。

(一) 労働保険料制度の概要

(原告ギオン自動車の請求)の請求原因6(一)と同じ。

(二) 原告アオイ自動車の損害額の算出

(1)  前記4(二)のとおり、高原に対する昭和五四年一月一日以降の労災保険給付は、京都上労働基準監督署長等の過失により、支給要件を欠くことを看過したままに行なわれた違法なものであり、また、前記4(三)のとおり、林に対する昭和五七年一月一日以降の労災保険給付は、京都上労働基準監督署長等の過失により、支給要件を欠くことを看過したままに行なわれた違法なものである。

このことを前提とすると、原告アオイ自動車は、メリット制の適用を受ける事業であるから、高原らに対して支給要件を欠いた違法な業務災害に関する労災保険給付がされたことによって、原告アオイ自動車に係る業務災害に関する保険給付額が増加し、前記(原告ギオン自動車の請求)の請求原因6(一)で述べたメリット制の適用に際し、労災保険率が上昇したことで、原告アオイ自動車は、高原らに対する違法な保険給付がなかった場合に比べて余分に保険料を徴収されたことになった。

したがって、原告アオイ自動車が実際に支払った労働保険料と、高原らに対する違法な労災保険給付がなかったと仮定した場合に算出される労働保険料との差額が損害額となる。以下、損害額を順に算出する。

別紙1は、原告アオイ自動車に係り現実に業務災害に関して支払われた昭和五三年から平成元年までの各年の労災保険給付額であり、別紙2は、高原については昭和五四年一月一日以降、林については昭和五七年一月一日以降、それぞれ支払われた労災保険給付の合計額の昭和五四年から同六一年までの各年の額であり、別紙3は、右両者の各年の差額で、これが、高原及び林の両名に対する違法な保険給付がなかったと仮定した場合の修正計算後の、原告アオイ自動車に係り現実に業務災害に関して支払われた昭和五三年から平成元年までの各年の労災保険給付額となり、前記の収支率計算式の分子の基礎となる数値である。

別紙4は、原告アオイ自動車が、従業員等に対して支払った昭和五三年から平成二年までの各年度の賃金総額である。

別紙5は、原告アオイ自動車が現実に支払った確定保険料(但し、労災保険率から通勤災害にかかる率(一〇〇〇分の一)を減じた部分。なお、以下、特にことわりない限り、「確定保険料」とは、労災保険率から通勤災害にかかる率を減じた部分を指す)の各年度(昭和五三年度から平成二年度)の額であり、別紙6は、原告アオイ自動車が現実に申告した概算保険料(但し、労災保険率から通勤災害にかかる率(一〇〇〇分の一)を減じた部分。なお、以下、特にことわりない限り、「概算保険料」とは、労災保険率から通勤災害にかかる率を減じた部分を指す)の昭和五六年から平成二年までの各年度の額であり、前記の収支率計算式の分母の基礎数値として用いられるものである。

別紙7ないし15は、以上の基礎数値を別表(一)記載の算式(但し、昭和六三年度以降は、別紙18記載の算式)に当てはめて、昭和五七年度から平成二年度までの各年度の収支率を計算しなおした上、右修正後の収支率に該当する別表(二)記載の増減率に従って、標準保険率(〇・〇〇六)を増減させて、その年度の労災保険率を算出したものである。

このようにして算出された修正後の各年度の労災保険率に、原告アオイ自動車が従業員等に対して支払った各年度の賃金総額を乗ずると、各年度の修正計算後の労働保険料の額が得られる。この各年度の修正計算後の労働保険料の額と、原告アオイ自動車が現実に支払った各年度の確定保険料の額とを比較すると、昭和六〇年度以降は、現実に支払った各年度の確定保険料の額のほうが各年度の修正計算後の労働保険料の額(別紙16)よりも多額となり、その各年度の差額を計算すると、別紙17のとおりである。

右の各年度の差額の合計である金一六、〇四二、〇〇八円が、原告アオイ自動車の蒙った損害の額である。

(2)  仮に、高原らが、前記4の(二)ないし(三)で主張した各時期に治癒していないとしても、それぞれ、現実の支給打切りの時点よりは前に治癒して、高原らに対する労災保険給付の少なくとも一部には違法な部分が存するゆえ、このことにより、右(1) の場合と同様に、原告アオイ自動車は、高原らに対する違法な労災保険給付がなかった場合に比べて余分に保険料を徴収されることとなり、右(1) と同様の計算方法により算出された額が損害額である。

(3)  なお、原告アオイ自動車は、遅くとも年度の最終日たる三月三一日までには、各年度の労働保険料の支払いを終えている。

7 よって、原告アオイ自動車は、被告に対し、国家賠償法一条の損害賠償請求権に基づき、金一六、〇四二、〇〇八円及び内金二、四〇一、五九二円に対し昭和六〇年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六一年四月一日から、内金三、一五四、八七二円に対し昭和六一年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六二年四月一日から、内金三、六一五、六三三円に対し昭和六二年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六三年四月一日から、内金三、七七〇、三二五円に対し昭和六三年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成元年四月一日から、内金二、七〇七、四六三円に対し平成元年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成二年四月一日から、内金三九二、一二三円に対し平成二年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成三年四月一日から、各支払い済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1ないし3の各事実は認める。

2(一) 請求原因4(二)の事実は、否認する。同4(三)の事実のうち、上京病院の医師の診断書に、症状が「一進一退」であると常に記載されていたことは認め、その余は否認する。

(二) 高原の治癒の時期については、原告アオイ自動車の主張する治癒の時期(昭和五三年七月ころないし九月下旬)以降も、転医先の上京病院、京都労災診療所において、各病院の医師が、高原に対して治療の必要を認めているのだから、原告アオイ自動車主張の右時期に高原が治癒した事実はない。

(三) 林の治癒の時期については、原告アオイ自動車の主張する治癒の時期(昭和五五年一二月ころないし翌五六年七月上旬ころ)以降も、上京病院の治療担当医が、林に対する治療の必要を認めているのだから、原告アオイ自動車主張の右時期に林が治癒した事実はない。

また、上京病院の医師のいう、症状の「一進一退」とは、治療効果があることを指すのであって、未だ治癒の状態には至っていないことを意味する。

3(一) 請求原因5(一)の事実のうち、労働者災害補償保険制度が、全国の事業主の保険料と国の財政負担によって運営され、労働基準監督署の署長らが、その公正な運営を管掌していること、高原、林の両名の傷病名、高原の治療が昭和五二年三月二一日以来継続していたこと、林の治療が昭和五三年七月八日以来継続していたこと、林に係る上京病院の医師の診断書に、症状が「一進一退」であると常に記載されていたことは認め、その余は否認する。

京都上労働基準監督署長等に過失があるとの主張及び同5(二)の被告に国家賠償法一条の責任があるとの主張は争う。

(二)(1)  労災保険法及び同法施行規則では、労災保険給付の適正を図るため、保険給付の支給手続過程において定期的に提出が義務付けられている各種診断書、レセプト等につき、労働基準監督署の署長らによる各種審査手続を設けている(労災保険法施行規則一八条の二第二項、同一九条の二等)が、高原、林の両名に対する労災保険給付では、右各審査手続はいずれも履践されており、したがって、高原、林の両名に対する労災保険給付は、厳正な審査を経た正当なものである。

(2)  また、労災保険法所定の、労災保険給付を受けている労働者の症状の調査のための各種規定(同法四七条、四七条の二、四七条の三、四九条参照)は、いずれも労働基準監督署長に権限を与えたものであり、その行使は行政庁の自由裁量に委ねられているものである。

ところで、京都上労働基準監督署長は、高原、林の両名の症状の把握のため、右各種権限を行使して、以下の調査をしている。

まず、高原につき、労災保険法施行規則一九条の二に基づいて高原から提出された昭和六一年二月一七日付けの「傷病の状態等に関する報告書」に添付された社会復帰センター医務室医師宮田学作成の診断書の記載から、高原の症状についての調査の必要ありと判断し、同年三月三一日及び同年六月一一日、京都労災診療所に対し、労災保険法四九条に基づき、高原の症状に関する意見書の提出を求め、同診療所医師中西和仁から同年四月七日及び同年六月一四日に提出された各意見書を審査するとともに、同年四月二四日、社会復帰センター医務室医師宮田学に対し、労災保険法四九条に基づき、高原の症状に関する意見書の提出を求め、同医師から同年六月二〇日に提出された意見書を審査した。その結果、更に詳細な調査の必要ありと認め、京都労災診療所及び社会復帰センター医務室からレントゲンフィルムの提出を受けた上、これに前記各意見書を添えて、同年七月一日、国立京都病院医師大谷碧に対し、労災保険法四九条に基づき、高原の症状に関する意見書の提出を求め、同月三日に同医師から提出された意見書及び前記各医証を精査した結果、高原においては、同月三一日を以て、治癒の状態に至ったと判断した。

次に、林につき、労災保険法施行規則一九条の二に基づいて林から提出された昭和六一年三月二五日付けの「傷病の状態等に関する報告書」に添付された上京病院医師姫野純也作成の診断書の記載から、林の症状についての調査の必要ありと判断し、同年五月三〇日及び同年六月一八日、上京病院に対し、労災保険法四九条に基づき、林の症状に関する意見書の提出を求め、同年六月一四日及び七月一七日に同病院医師姫野純也から提出された意見書及び前記各医証を精査した結果、林においては、同年八月三一日を以て、治癒の状態に至ったと判断した。

このような、京都上労働基準監督署長が、高原及び林の両名につき、実施した各調査の内容、時期等に照らすと、京都上労働基準監督署長の高原及び林の両名に対する調査権限の行使・不行使等につき、裁量権の濫用・逸脱はない。

4 請求原因6(二)(1) の事実のうち、原告アオイ自動車がメリット制の適用を受けること、高原らに対する労災保険給付は業務災害に関してなされたものであること、原告アオイ自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五三年から平成元年までの各年の労災保険給付額(別紙1)(但し、昭和五四年、同六一年は除く。)、原告アオイ自動車が従業員に対して支払った昭和五三年度から平成二年度までの各年度の賃金総額(別紙4)、原告アオイ自動車が現実に支払った昭和五三年度から平成二年度までの各年度の確定保険料の額(別紙5)、原告アオイ自動車の昭和五六年度から平成二年度までの各年度の概算保険料の額(別紙6)は認め、その余は否認する。

同6(二)(1) 及び(2) の、原告アオイ自動車に損害が発生したとの主張は争い、同6(三)の点は、明らかに争わない。

第三証拠<省略>

理由

(原告ギオン自動車の請求について)

一  請求原因について

1  請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因4について

(一) 労災保険給付の支給要件

労災保険法上の業務災害に関する保険給付(同法七条一項一号)たる療養補償給付及び休業補償給付は、労働者が業務上の事由によって負傷(疾病)した場合、診察及び治療費など並びに労働することができないため受けられなかった賃金の一部を支給するものである(同法第一二条の八第一項第一号、第二号、労働基準法七五条、七六条)が、右各給付は、受給者が、原則的には「治癒」の状態になるまで行なわれるものであるから、受給者の治癒の後には、いずれもその支給要件を欠くに至ると解すべきである。

ここにいう治癒とは、労働者の症状が安定し、疾病が以前に復した状態となり、そのため医学的治療の必要がなくなったとき、また、労働者の急性症状が安定したものの、慢性的症状が残存し、それに対して治療をしても、もはや医療効果が期待しえない状態、すなわち症状固定の状態に至ったときをそれぞれ指稱するものである。

(二) 請求原因4(二)の事実のうち、山内に係る交通事故が、信号待ちのため停止中の山内運転の被害車両に、川崎運転の加害車両が追突したものであることは当事者間に争いがない。

(三) 請求原因4(二)(1) ないし(2) (山内の負傷の事実の有無)について

原告ギオン自動車は、山内の負傷の事実がないと主張するので、以下、この点につき、判断する。

(1) (イ) <書証番号略>、証人福島昌彦の証言によれば、山内は、事故当日である昭和五九年二月四日から翌六〇年八月七日まで、福島病院に通院していたこと、山内は、福島病院での初診の際、同病院の医師福島昌彦(以下「福島」という。)に対し、頚部痛、めまい、吐き気、頭痛、右手のしびれの症状を訴えていたこと、福島は、このときに撮影した山内の頚椎のレントゲン写真を見て、第四頚椎と第五頚椎との間に少しずれがあると診断したこと、右レントゲン写真での頚椎のずれは、医師によっては、ずれとは判断しない程度のものであること、福島は、山内から当日交通事故に遭ったとの説明を受け、右の山内の症状の訴え及び右レントゲン写真等により、外傷性頚部症候群との診断をしたこと、昭和五九年三月五日、福島は、山内の頚部の運動検査を実施し、その結果、運動制限ありと診断したこと、福島は、同年四月一八日、同年一〇月八日の両日、山内の握力検査を実施した結果、握力低下ありと診断したことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(ロ) 前記当事者間に争いのない事実に加えて、<書証番号略>によれば、山内運転の被害車両の破損は、後部バンパー及び後部バンパー下のスカートの部分にわずかな擦過痕が存するだけであること、加害車両の破損は、左前フェンダー、左前ライト枠に軽い変形があるにすぎないことが認められ、<書証番号略>によれば、事故当時、路上に雪が積もっていたこと、追突の際、山内は、フット、サイドの両ブレーキをかけていたこと、山内運転の被害車両が前方に押し出された距離は高々二ないし三メートルであったことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(2)  前記(1) (イ)の各認定事実に基づいて、山内を事故直後から診察してきた福島の診断につき検討するに、頚部痛、めまい、吐き気、頭痛、右手のしびれ等の患者の自覚症状の訴えの他に、レントゲン検査、握力検査、頚部の可動性検査も実施され、外傷性頚部症候群の発症を窺わせる検査結果が一応出ていること、握力検査、頚部の運動(可動性)検査の客観性には限界があるにしても、右各検査時に、山内の行動、態度に特に不自然なところがあったと認めるに足る証拠のないこと、及び、レントゲン写真の所見は、医師の間でも意見がわかれる程度であり、ずれがあるとの所見が誤りであるとはいえないことに照らすと、福島医師の診断に、特に不合理な点は認められないから、前記(1) (イ)の各認定事実を総合すると、山内の負傷の事実を推認することができる。

一方、<書証番号略>(医師鈴木庸夫作成の「受傷者山内昇殿に関する意見書」)によれば、一般に、追突事故で頚椎捻挫を発症させる下限の追突瞬間の速度は、頚椎捻挫の発生メカニズムに照らすと、時速一五キロメートルであることが認められるものの、<書証番号略>において、加害車両の追突瞬間の推定速度を導出する際の基礎資料として挙げられている事故状況事実は、前記(1) (ロ)の認定事実の範囲に限られ、基礎資料としてはいささか不十分であることからすると、右<書証番号略>から直ちに、川崎運転の加害車両の追突瞬間の速度が、追突事故で頚椎捻挫を発症させる下限を下回る、高々一〇キロメートルであったとまで推認することはできないし、また、<書証番号略>自体、「長くとも一ないし二か月で治癒する程度の外傷性頚部症候群の発症する可能性は否定しえない」との記載がある。

以上を総合考慮すると、山内の負傷には、疑わしいふしが無いでもないが、前記(1) (ロ)認定の各事実及び<書証番号略>によっては、未だ前記推認を覆すには不十分である。

(3)  したがって、山内の負傷の事実を認めることができる。

(四) 請求原因4(三)(山内の治癒の時期)について

原告ギオン自動車は、仮に、山内の負傷の事実があったとしても、その治癒の時期は、山内への支給が打ち切られた昭和六一年九月三〇日よりも前であると主張するので、山内の治癒の時期につき、以下、検討する。

(1)  <書証番号略>、証人山内の証言によれば、山内は、事故当日である昭和五九年二月四日以来、福島病院で、同六〇年八月八日以来、社会復帰センター医務室で、同六一年二月八日以来、第二京都回生病院で、それぞれ治療を受けていたこと、福島病院の医師福島は、京都下労働基準監督署長からの昭和五九年一〇月一二日付けの意見書提出依頼に対する同日付けの意見書(<書証番号略>)のなかで、山内の症状につき、右同日現在、医療効果あり、と回答していること、社会復帰センター医務室での山内の治療内容は、マッサージと訓練施設を利用した軽作業等の訓練が加わる他は、福島病院と変わりはなく(但し、山内自身は、一度も訓練施設を利用しなかった)、正味の治療時間は五分位であったこと、社会復帰センター医務室の医師宮田学(以下「宮田」という。)は、昭和六〇年一一月二一日、翌六一年二月六日の両日、山内の診断書(<書証番号略>)を作成し、その際、山内につき、治療の必要性を認めていたこと、第二京都回生病院での治療内容は、マッサージ、投薬、温熱、注射であったこと、第二京都回生病院の医師伊勢田幸彦は、昭和六一年七月一一日付けの意見書(<書証番号略>)を作成し、その際、山内につき、右意見書作成時点では治療効果は認められないと回答していたこと、山内は、昭和六一年八月二六日、京都下労働基準監督署長の発した受診命令に基づき、国立京都病院医師大谷碧の診断を受け、その際、同医師により治癒の診断がされたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(2)  <書証番号略>、証人福島の証言(後記措信しえない部分を除く)によれば、福島病院での治療内容は、当初は、湿布、抗炎症剤等の投与、静脈注射で、その後、昭和五九年三月に湿布が超短波による理学療法に変わり、更に同年五月には牽引が加わったが、その後は特に変化がないこと、昭和五九年六月下旬以降、山内のカルテ上段の症状、経過等の特記事項欄の記載が著しく減り、翌六〇年一月末から転医の同年八月七日までの間は、全く記載のないこと、山内の症状は、昭和六〇年一月末から同年八月七日までの間、目立ったことはなく、よくなったり悪くなったりの一進一退の状態であったこと、福島病院での、昭和五九年一一月九日実施の山内の頚椎のレントゲン撮影の結果では、治療当初の同年二月四日に認められた第四、第五頚椎間のずれが消失していたこと、転医日の同年八月七日実施の頚部運動(可動性)制限検査の結果、同年三月五日実施の検査結果と比べて、前・後屈を除く頚部運動の制限が多少軽減されていること、福島は、転医直後の昭和六〇年八月一三日、山内の依頼に応えて、山内につき、社会復帰に必要な訓練の実施を適当と認める旨の推薦書(<書証番号略>)を書いたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(3)  前記(1) 、(2) の各認定事実をもとに、山内の治癒時期を検討するに、山内の症状は、昭和六〇年一月末から同年八月七日までの間、目立ったことはなく、よくなったり悪くなったりの一進一退の状態であったことからみて、山内に対する治療効果は、このころ既に、一時的なものとなり、もはや諸症状を永続的に軽減するものではなくなっていることが窺えるところ、福島が、前掲意見書(<書証番号略>)のなかで、昭和五九年一一月当時の山内の症状につき、医療効果あり、と回答しており、それに一応沿うような検査結果(頚椎レントゲン撮影、頚部運動)があることを考慮し、経過観察期間を加味しても、福島病院から転医したころの、昭和六〇年八月上旬には、十分に治癒の状態に至っていたと推認することができる。

社会復帰センター医務室の医師宮田が、昭和六〇年一一月二一日、翌六一年二月六日の両日、山内につき、治療の必要性を認めていた事実も、前記(1) 認定の社会復帰センター医務室での治療内容等に照らすと、右推認を覆すには足りず、証人福島の証言中、一進一退の状態をもっても治癒とはいえない旨の部分は、独自の見解であって採用しえない。

また、前掲鈴木医師の意見書(<書証番号略>)のうち、本件事故に起因した妥当な治療期間は三ヵ月程度とする旨の部分については、その前提とする追突瞬間の推定速度の導出過程自体に、前記のように基礎資料不足があることからは、<書証番号略>の右部分は、軽微な追突事故の際の妥当な治療期間に関する一般論としての証拠価値に止まり、直ちに本件での右認定を覆すには至らないものと認められる。

(4)  したがって、山内の治癒時期は、昭和六〇年八月上旬と認められる。

(五) 以上述べたところから、山内に対する労災保険給付は、山内が治癒した後の昭和六〇年八月上旬以降は、その支給要件を欠いていたものと認めることができる。

3  請求原因5について

(一) 請求原因5(一)のうち、労働者災害補償保険制度が、全国の事業主の保険料と国の財政負担によって運営され、労働基準監督署の署長らが、その公正な運営を管掌していること、原告ギオン自動車が、京都下労働基準監督署の担当官に対し、山内に係る交通事故につき、被害車両(山内が運転していたタクシー)の事故後の写真等を提出したことは当事者間に争いがない。

(二) 請求原因5(一)(京都下労働基準監督署長等の過失)について

前記2認定のとおり、山内に対する労災保険給付は、山内が治癒した後の昭和六〇年八月上旬以降は、その支給要件を欠いていたものであるが、原告ギオン自動車は、かかる支給要件を欠く労災保険給付がされたことにつき、京都下労働基準監督署長等において各種調査権限を行使しなかった過失があると主張するので、以下、この点につき、判断する。

(1)  当事者間に争いのない事実に加えて、<書証番号略>、証人山本の証言によれば、次の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

<1>(イ) 原告ギオン自動車の取締役支配人である山本は、昭和五九年二月四日、山内に係る本件交通事故発生の事実及び加害者の氏名、住所等の報告を受けた。右事故直後、原告ギオン自動車の事故係職員により、山内運転の被害車両(タクシー、「京五五う六八-九七」)後部の被害状況の写真撮影がされたが、その際、後部バンパー下のスカートの部分の凹みは、白いチョークで斜線を入れないと遠くから見て分からない程度であり、このことから、山本は、右事故は軽微な追突事故であるとの認識を持った。ところが、山内が暫らく無断欠勤を続けたことから、同月八日、山本が山内を呼び出したところ、山内は、持参した福島医師作成の「外傷性頚部症候群、約二週間の加療を要する」との診断書を山本に示した。これに対し、山本が、前記被害車両の破損状況から見て、右事故によって怪我をするはずがない等と山内を叱責したところ、山内は、突然に、退職を申し出て、結局、同日、原告ギオン自動車を退職した。

昭和五九年二月下旬、山内は、相手方不明との事故証明書を持参して原告ギオン自動車を訪れ、本件事故に係る労災手続をとるように原告ギオン自動車に求めた。山本としては、被害車両の破損状況から見て、前記事故によって山内が怪我をするはずがないと思っていたが、労災保険法施行規則二三条二項の「事業主は、保険給付を受けるべき者から保険給付を受けるために必要な証明を求められたときは、すみやかに証明をしなければならない。」との規定があることから、山内の右求めを断ることはできないと思った。そこで、山本は、労災保険給付の認定権限を有する京都下労働基準監督署長に対し、その旨の注意を喚起させるため、同署長に提出する第三者行為災害届に、前記の被害車両後部を撮影した写真を添付するとともに、右届の「その他参考事項」の欄に「事故の程度は軽微であり、負傷するとは思われない」との記載をすることとし、原告ギオン自動車の職員雨森にその旨な行なわしめ、同年三月五日、右第三者行為災害届を京都下労働基準監督署長に提出した。

(ロ) 昭和五九年三月下旬、京都下労働基準監督署の労災課長の八木が、原告ギオン自動車を訪れ、山内に対する休業補償給付につき、原告ギオン自動車での毎月の給与額の他に、同社の行なっていた、一時金を引き当てにした貸付金の分を上乗せした額での給付をしたい旨申し出た。これに対し、原告ギオン自動車の相談役の浜田は、八木に対し、前記の被害車両後部を撮影した写真を示した上、被害車両の破損状況から見て、この程度の事故によって山内が怪我をするはずがないと説明し、山内は不正に労災保険給付を受けようとしているので、これを防止して欲しい等と申し入れた。

その後、同年六月初旬、九月中旬の二度に亘り、八木は、右の山内に対する休業補償給付の額の件で、原告ギオン自動車を訪問し、その度ごとに、浜田は、山内は不正に労災保険給付を受けようとしているので、監督署の権限で早急に調査をして、これを防止して欲しい等と申し入れた。

原告ギオン自動車は、山内が既に退職していることから、山内に対して他の医師による診断を受けるよう命ずることもできず、また、山内の治療医から症状等の事情を聴取することはできなかったが、本件事故の加害者の川崎から事情を聴取することとし、昭和五九年九月末ころ、原告ギオン自動車の職員の松浦らが川崎に会い、川崎から、事故の状況、車の破損状況、事故直後の現場での川崎と山内のやりとり、その後の右両名のやりとり、川崎の受けた刑事処分等につき、聴取し、このときの聴取結果をまとめた書面に、後日、川崎の署名押印等を受けた。

(ハ) 原告ギオン自動車の山本は、山内に対する労災保険給付の打切りを要請するため、昭和五九年一〇月八日、京都下労働基準監督署を訪問し、同署の労災課長の八木に面会した。その際、山本は、八木に対し、前記の被害車両後部を撮影した写真を示した上、被害車両の破損状況から見て、この程度の事故によって山内が怪我をするはずがない等と説明するとともに、山内は、かって京滋交通でタクシー運転手を勤めていた際にも軽微な事故で長期間に亘り労災保険給付を受けていたことも告げて、京都下労働基準監督署において、早急に山内についての調査を実施して、山内に対する労災保険給付を停止するようにとの旨申し入れ、調査の上、返答をして欲しいと告げた。

京都下労働基準監督署長は、昭和五九年一〇月一二日、山内の治療医である福島医師に対し、労災保険法四九条に基づき、山内の症状に関する意見書の提出を求めたところ、同月一五日に同医師から意見書(<書証番号略>)が提出された。右意見書には、治療内容及び医療効果の有無につき、「現在、超短波照射、牽引などの理学療法、注射投薬。医療効果はあり。」との、症状固定の時期につき、「症状固定の時期については不明であるが、強いて言えば向後約二ヵ月の見込み」との、各記載がある。

<2>(イ) 昭和六〇年九月ころ、京都下労働基準監督署の労災課長の岡田が、他の従業員に対する労災保険給付の件で、原告ギオン自動車を訪問した。その際、山本は、岡田に対し、山内に対する労災保険給付の支給打切り問題の処理がどうなったかを尋ねたところ、まだ支給が継続されているとの返答であったので、再度、山内に対する労災保険給付の早急な打切りを求めるとともに、更に、同監督署に対し、今までの山内に対する労災保険給付の返還請求手続きをとることを求めたが、岡田は、署で協議した上で返答する旨告げたのみであった。

(ロ) 京都下労働基準監督署長は、昭和六〇年一二月三日、山内から、労災保険法施行規則一八条の二に基づき療養開始から一年六ヵ月経過後に提出することを義務付けられている「傷病の状態等に関する届書」とともに、これに添付された社会復帰センター医務室医師宮田学作成の診断書(<書証番号略>)の提出を受けた。

京都下労働基準監督署長は、昭和六一年二月二四日、山内から、労災保険法施行規則一九条の二に基づき毎年一月分の休業補償給付の支給を請求する場合に提出することを義務付けられている「傷病の状態等に関する報告書」とともに、これに添付された社会復帰センター医務室医師宮田学作成の診断書(<書証番号略>)の提出を受けた。

右各診断書には、いずれも、山内につき、治療継続の必要を認める旨の記載がなされていた。

(ハ) 昭和六一年四月、原告ギオン自動車に、昭和六一度の労災保険率を、最高率である一〇〇〇分の九・四とする旨の決定通知書が届いた。山本は、この当時、原告ギオン自動車の在職者には労災保険給付の受給者がいなかったことから、この高い労災保険率を不審に思い、同年五月一六日、京都下労働基準監督署を訪問したところ、労災課長の岡田から、この時点での労災保険給付の受給者は山内のみであり、山内に対する支給のゆえに労災保険率が一〇〇〇分の九・四になったとの説明を受けたので、岡田に対し、山内に対する労災保険給付の支給を打切ること、山内に対する労災保険給付額を除外して労災保険率の算定をしなおすこと、算定しなおした労災保険率による保険料との差額の返還を求めた。

山本は、同月二八日、翌六月二日、同月九日にも、京都下労働基準監督署を訪問し、同様の申し入れをしたが、右五月二八日の訪問の際には、岡田は、医者の診断書がでている以上、打切りは困難であるし、山内の二年数か月間の支給期間は短いほうだというばかりであった。山本は、右六月九日の訪問の際には、岡田に対し、山内本人の事情聴取や指定病院での受診等の措置が何ら採られていないことから、早急に右各措置を採るとともに、労災保険率の算定のしなおしを要請し、訴訟も辞さない旨告げた。

京都下労働基準監督署長は、昭和六一年七月七日、第二京都回生病院医師伊勢田幸彦に対し、労災保険法四九条に基づき、山内の症状に関する意見書の提出を求め、同月一一日に同医師から、山内につき治療効果は認められないとの旨の意見書(<書証番号略>)が提出された。

更に、京都下労働基準監督署長は、同年八月二六日、同法四七条の二に基づき、山内に対し、国立京都病院医師大谷碧の診断を受けるよう命じ、同月三〇日には、同大谷医師から、右診断に基づく山内の現症状について、「医療効果は期待しがたい」とする意見書(<書証番号略>)の提出を受けた。

京都下労働基準監督署長は、同年九月四日、原告ギオン自動車にあてて、山内に対する労災保険給付を翌一〇月一日以降打ち切る旨の通知をし、同年九月三〇日をもって、山内に対する労災保険給付を打ち切った。

(2)  次に、以上の認定事実を総合して、京都下労働基準監督署長等の過失の有無につき検討する。

<1> 労災保険法は、労災保険給付を受けている労働者の症状を調査するための各種の規定、すなわち、同法四七条(労働者に対して報告など及び出頭を、事故を発生させた第三者に対して報告などを命ずる。)、四七条の二(医師の診断を受けるべきことを命ずる。)、四七条の三(保険給付の一時差止め)、四八条(事業所に臨検、関係者の質問、帳簿書類の検査)、四九条(医師に対して報告、診療録等の提示を命ずる。)を設けているが、右各規定は、労働基準監督署長等に、権限を与えるものであって、その行使を義務付けることを目的とするものではないから、いつ、どのような調査権限を行使するかは、原則として、労働基準監督署長等の自由裁量に委ねられているというべきである。したがって、労働基準監督署長等の右各調査権限の不行使は、具体的事情の下において、右権限が付与された趣旨及び目的に照らして、著しく不合理と認められるときでない限り、支給要件を欠いた労災保険給付がされたことによって損害を蒙った事業主に対する関係において、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものではなく、また、右権限の行使を法的に義務付けられるものではない。

しかしながら、そもそも前記各調査権限規定の趣旨及び目的が、労災保険給付を受け、または受けようとする労働者の症状の的確な把握にあり、ひいては、国の財政負担と全国の事業主の保険料によって運営されている労災保険制度の公正かつ健全な運営の確保にあることは多言を要しないところであり、その権限の行使に際しては、現行保険医療制度の下で、患者、医師双方の事情で、安易な診療の継続がときに見受けられないわけではないこと、法的な調査権限の裏付けを持つ行政庁以外の者には、患者の症状を調査し把握することが事実上不可能であること、いわゆる鞭打ち症にあっては、他覚的所見がなく、患者の自覚症状が中心になることから、治療にあたる医師も、患者の訴えを否定しにくいこと等の事情を十分にふまえる必要があるといわなければならない。

してみると、労働基準監督署長及び係官等において、提出を受けた診断書等の資料(労災保険法施行規則一八条の二第二項、同一九条の二等参照)による労働者の治療内容、当該給付の支給期間、原因となった事故の内容並びに労働者個人の素因、第三者からの調査請求の有無その他諸般の事情に照らして、労災保険給付を受けている労働者の症状が支給要件を欠くに至っていることにつき客観的に疑いが持たれるにもかかわらず、前記各調査権限を行使しないときは、右不作為は、権限の趣旨及び目的に照らして著しく不合理と考えざるを得ず、このような場合、労働基準監督署長等は、前記各調査権限を行使し、十分な調査を実施して、その者の症状の的確な把握に努める義務を負うものと解され、労働基準監督署長等の右不作為は前記各調査義務違反の過失があり、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものと解するのが相当である。

<2> 原告ギオン自動車は、事故直後より、山内運転の被害車両の破損状況から山内の負傷に疑いを持ち、京都下労働基準監督署の担当官に対し、<書証番号略>の被害車両後部を撮影した写真等の資料に基づいて、山内の訴える症状には疑問があることを説明した上、山内の治癒時期である昭和六〇年八月上旬の前後を通じて、再三に亘り、同監督署において、その権限を行使して更に事情を調査し、山内の労災保険給付の支給を防止ないし打ち切ってもらいたい旨を申し入れていたこと、右の被害車両後部を撮影した写真によって、正確な衝撃の程度まではともかくも、追突時の衝撃がそれほど強いものではなかったことがよく窺えるから、右写真は、これを見た京都下労働基準監督署の係官に、山内の負傷につき、客観的に疑いを持たせるには十分な資料と認められること、前記2(四)(1) 、(2) で認定した山内の治療内容、症状の経過等からすると、山内の症状は、昭和六一年八月当時と、昭和六〇年九月ころとでは、ほとんど違いがないと推認されること、前記(1) 認定の山内への支給打切りまでの経緯に照らすと、京都下労働基準監督署長が、昭和六〇年九月における原告ギオン自動車からの申入れを受けた後、直ちに本格的な調査活動をしていれば、遅くとも同年中には、山内への労災保険給付の支給を打切ることが可能であったとみるべきであることを総合すると、京都下労働基準監督署長等は、前記(1) <1>認定の、山内に対する労災保険給付に関する原告ギオン自動車からの度々の申入れとこれに対する京都下労働基準監督署長の調査活動を経た後に、再度、山内の治癒時期の後である、昭和六〇年九月ころに、原告ギオン自動車から山内に対する労災保険給付打切りにつき申入れを受けたのだから、山内の症状につき疑いを以て、治療医に対し更に精密な診断を求めたり、信頼のできる他の医療機関による厳格な診察を求める等、適宜、労災保険法所定の各種権限を行使して山内の症状を適切に把握した上、山内に対する支給要件の無いことを認定し、山内に対する労災保険給付の不支給処分をすべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、治療医の診断書をたやすく信用して、漫然と山内に対する労災保険給付を続けた過失がある。

(三) 請求原因5(二)(被告の責任)について

原告ギオン自動車は、右の京都下労働基準監督署長等の過失により支給要件を欠くことを看過したまま行なわれた労災保険給付により、後記4の損害を蒙ったから、被告には国家賠償法一条に基づく損害賠償の責任がある。

4  請求原因6(損害)について

原告ギオン自動車の損害は、実際に支払った労働保険料と、山内に対する支給要件を欠いた違法な昭和六一年分の保険給付がなかったと仮定した場合に算出される労働保険料との差額である。

(一) 労働保険料制度の概略

労働保険の保険料の徴収等に関する法律によれば、労働保険料の算定方式は、以下に述べるとおりであることが認められる。すなわち、事業主が負担する各年度の労働保険料の額は、次の計算式のとおり、当該事業に使用する全ての労働者に支払う各年度の賃金の総額に、各年度の労働保険率を乗じた額である。

各年度の労働保険料=各年度の賃金の総額×各年度の労災保険率

(なお、労災保険率は、通勤災害に係る部分(一律一〇〇〇分の一)とその他の(通勤災害にかかる率を除いた)部分とから成っているが、以下においては、特にことわりがない限り、「労災保険率」というときは、通勤災害にかかる率を除いた部分のことを指すこととする。)

そして、各年度の労災保険率の算出方法については、一定の事業には、メリット制といわれる制度が採られており、個々の事業毎の収支率(「メリット収支率」といわれる)に応じて、事業の種類毎に定められた標準保険率(但し、通勤災害に係る率(一律一〇〇〇分の一)を除いた部分。なお、以下、特にことわりがない限り、「標準保険率」というときは、通勤災害に係る率を除いた部分を指す。)に増減の修正がされることになっている。具体的には、ある年度の「メリット収支率」(別表(一)記載の算式(但し、昭和六三年度以降は、別紙18記載の算式)により算出される。)の値が八五パーセントを超えるときには、別表(二)記載の増率の定める数値に従って、その年度の労災保険率が増率される。

ところで、前記「メリット収支率」の算出式をみるに、右算式の分子には、「基準となる一二月三一日以前三年間(但し、昭和六三年度以降は、基準となる三月三一日以前三保険年度間)に業務災害に関して支払われた保険給付の額」の項が含まれているため、ある年度の業務災害に関する保険給付額が増加すると、右算式の分子の部分の値が増大するから、その次年度のメリット収支率が増加することとなり、もしその結果、別表(二)記載の増減率の定める数値が上昇することになれば、次年度の労災保険率が増率され、ひいては、次年度の労働保険料が増額することになる。

(二) 請求原因6(二)の事実のうち、原告ギオン自動車が、メリット制の適用を受けること、山内に対する労災保険給付は業務災害に関してなされたものであること、原告ギオン自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五七年から平成元年までの各年の労災保険給付額(別紙19)、原告ギオン自動車が従業員に対して支払った昭和五六年度から平成二年度までの各年度の賃金総額(別紙22)(但し、昭和六〇年度を除く。)、原告ギオン自動車が現実に支払った昭和五六年度から平成二年度までの各年度の確定保険料の額(別紙23)(但し、昭和六〇年度を除く。)、原告ギオン自動車の昭和五九年度から平成二年度までの各年度の概算保険料(但し、労災保険率から通勤災害にかかる率(一〇〇〇分の一)を減じた部分)の額(別紙24)(但し、昭和六一年度を除く。)は、当事者間に争いがない。

(三) <書証番号略>、調査嘱託の結果、弁論の全趣旨によれば、原告ギオン自動車が従業員に対して支払った昭和六〇年度の賃金総額は、四六一、八二二、〇〇〇円であること、原告ギオン自動車が現実に支払った昭和六〇年度の確定保険料の額は、三、八七九、三〇四円であること、原告ギオン自動車の昭和六一年度の概算保険料の額は、三、八七九、三〇四円であることが認められる。

(四) ところで、山内に対する支給要件を欠いた昭和六一年分の労災保険給付がされたことで、その次年度である昭和六二年度から平成二年度までの間の収支率の算出式(別表(一)記載。但し、昭和六三年度以降は、別紙18記載)の分子中の、「基準となる一二月三一日以前三年間(但し、昭和六三年度以降は、基準となる三月三一日以前三保険年度間)に業務災害に関して支払われた保険給付の額」の部分に、本来含まれないはずの額が加算されたことになる。そこで、昭和六二年度から平成二年度までの間の労働保険料につき、その算定をしなおすこととなる。

別紙33(「算定し直した、原告ギオン自動車に係る業務災害に関する保険給付額」と題するもの)は、原告ギオン自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五九年から平成元年までの各年の労災保険給付の額(別紙19より)と山内に対する昭和六一年の労災保険給付の額とを挙げた上、昭和五九年から平成元年までの各年につき、右の前者の額から後者の額を引いた結果(これが、算定し直した、業務災害に関して支払われた各年の労災保険給付の額となる)を示したものである。

(五) 前記(二)の当事者間に争いがない事実に加え、前記(一)の保険料算定方式、右(三)、(四)認定の事実をもとに、以下、原告ギオン自動車の昭和六二年度から平成二年度までの労災保険率の修正計算を行なうと、順次、別紙34ないし37のとおりとなる。この結果、原告ギオン自動車の労災保険率は、昭和六二年度は七・二、同六三年度は六・六、平成元年度は四・八、同二年度は三・六となる(但し、単位はいずれも千分の一)。

別紙38は、原告ギオン自動車の昭和六二年度から平成二年度までの賃金総額(別紙22より)、右の別紙34ないし37の結果により算出された修正計算後の昭和六二年度から平成二年度までの労災保険率及び昭和六二年度から平成二年度までの確定保険料(実際の支払保険料。別紙23より)を示した上、右各年度の賃金総額に右各年度の労災保険率を乗じて右各年度の修正計算後の労働保険料を導き、更に、この修正計算後の保険料と右各年度の確定保険料との差額を示したものである。右差額を順次挙げると、昭和六二年度では二九八、六一四円、同六三年度は三〇九、七四二円、平成元年度は三二三、五九四円、同二年度は一六〇、八九六円となる。

右各差額の合計金一、〇九二、八四六円が、山内に対する支給要件を欠いた違法な昭和六一年分の労災保険給付がされたことによって、原告ギオン自動車の蒙った損害の総額となる。

(六) 原告ギオン自動車が、昭和六二年度から平成二年度までの各年度の労働保険料につき、遅くとも各年度の最終日である三月三一日までに支払っていることの点については、被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。

これより、各年度の損害に対する遅延損害金請求の起算日(すなわち、各年度の労働保険料の支払日の翌日)は、遅くとも、各々の次年度の初日である四月一日となるものと認めることができる。

二  結論

以上によれば、原告ギオン自動車の本訴請求は、損害賠償金一、〇九二、八四六円及び内金二九八、六一四円に対し昭和六二年度の労働保険料を支払った日の翌日以降である昭和六三年四月一日から、内金三〇九、七四二円に対し昭和六三年度の労働保険料を支払った日の翌日以降である平成元年四月一日から、内金三二三、五九四円に対し平成元年度の労働保険料を支払った日の翌日以降である平成二年四月一日から、内金一六〇、八九六円に対し平成二年度の労働保険料を支払った日の翌日以降である平成三年四月一日から、各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行逸脱宣言はこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(原告アオイ自動車の請求について)

一  請求原因について

1  請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因4について

(一) 請求原因4(一)(労災保険給付の支給要件)については、治癒とは、労働者の症状が安定し、疾病が以前に復した状態となり、そのため医学的治療の必要がなくなったとき、また、労働者の疾病の急性症状が安定したものの、慢性的症状が残存し、それに対して治療をしてももはや医療効果が期待しえない状態(症状固定)に至ったときをそれぞれ指称するものであること、及び労災保険の受給者が右の治癒の状態に至ったときには労災保険給付の支給要件を欠くに至ると解すべきであることは、先に原告ギオン自動車の請求に対する判断2(一)において判示したとおりである。

(二)請求原因4(二)(高原の治癒の時期)について

原告アオイ自動車は、高原の治癒の時期は、高原への労災保険給付の支給が打切られた昭和六一年七月三一日よりも前であると主張するので、以下、この点につき判断する。

(1)  <書証番号略>、証人姫野純也(以下、「姫野」という)の証言によれば、高原は、本件交通事故の翌日である昭和五二年三月二二日以来、葛岡整形外科病院で、同五三年七月六日以来、上京病院で、同五四年一〇月一七日以来、京都労災診療所で、同六一年二月六日以来、社会復帰センター医務室で、それぞれ治療を受けていたこと、高原は、昭和五二年三月二二日、葛岡整形外科病院の医師葛岡健作(以下、「葛岡」という)により、頚部捻挫、約二週間の加療を要する見込み、との診断を受けたこと、葛岡医師によるレントゲン撮影の結果では、高原の頚椎に異常はなかったこと、高原は、昭和五二年八月ころ、一旦職場に復帰したものの、その後、再び休業したこと、葛岡整形外科病院の医師葛岡は、同病院からの転医時の昭和五三年七月上旬を以て、高原は治癒したと判断し、その旨の診断書(<書証番号略>)並びに京都府社会保険審査会からの照会に対する回答書(<書証番号略>)を作成するとともに、本件交通事故に係る高原、前田間の債務不存在確認訴訟(京都地方裁判所昭和五四年(ワ)第七五五号)において、証人として、その旨証言していること、葛岡医師及び京都大学医学部精神科の診断では、高原には、内向的性格ないし心因性の要素にかかりやすい性格があると認められたこと、上京病院での治療は、マッサージ、牽引、温熱療法が続き、昭和五四年一月からは鍼が加わったが、それにもかかわらず、著明な症状の改善はなかったこと、上京病院から転医する昭和五四年一〇月当時、高原は、全体としての症状は同じように続いている状態だったこと、京都労災診療所での治療指示は、通院当初より、「機能訓練、マッサージ、マイクロレーダー、低周波、ホットバック、牽引」が続き、昭和五四年一一月から水中機能訓練が加わり、昭和五六年七月より鍼が加わった位であまり変化がないこと、京都労災診療所での高原の治療担当医らは、京都上労働基準監督署長に毎年一回提出されている高原の診断書(<書証番号略>)に、昭和五五年以来、ほとんど毎年、症状が「一進一退」である旨記載していたこと、京都労災診療所の医師中西和仁は、京都上労働基準監督署長からの高原の症状等についての意見書提出依頼にこたえた昭和六一年六月一二日付けの意見書(<書証番号略>)で、高原は「転医時に症状固定と思われる」と回答していること、社会復帰センター医務室医師宮田学は、京都上労働基準監督署長からの高原の症状等についての意見書提出依頼に対する回答である昭和六一年六月一九日付けの意見書(<書証番号略>)で、高原は、「二月六日初診に比し……症状は多少改善傾向を認めるが、依然として高度……。(症状固定時期は)不明。」と回答していること、国立京都病院医師大谷碧は、京都上労働基準監督署長からの高原の症状等についての意見書提出依頼に対する回答である昭和六一年七月二日付けの意見書(<書証番号略>)で、「京都労災診療所、社会復帰センター医務室を通じてほぼ同様の……対症的療法が行なわれているが……主訴、他覚的所見に著名な変化は認められない。……社会復帰センター医務室の意見書では、多少改善傾向を認めるとの記載あるも、治療内容は……ほぼ同様であり、治療効果は一時的なものに止まっていると推定される。」として、「すでに症状は固定していると考えるのが妥当と思われる。」と回答していることが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(2)  次に、右(1) 認定中の、高原の治癒時期に関する葛岡医師の診断につき検討するに、<書証番号略>の診断書、<書証番号略>の京都府社会保険審査会からの照会に対する回答書、本件交通事故に係る高原、前田間の債務不存在確認訴訟(京都地方裁判所昭和五四年(ワ)第七五五号)における証人調書(<書証番号略>)によれば、葛岡医師は、高原に対する治療を一年以上続けても、軽い首の運動制限、筋肉の圧痛等の他覚的所見の改善がない等、ほとんど治療効果が期待できず、かえって不定愁訴が次々と出てくることや、高原の内向的性格ないし心因性の要素にかかりやすい性格等を総合した結果、昭和五三年七月上旬を以て、治癒したと診断したことが認められるから、葛岡医師の右診断には何ら不合理なところはなく、同医師の右診断から、高原は、昭和五三年七月上旬を以て、治癒したと推認することができる。

右認定に反する、証人姫野の証言中の姫野医師は、昭和五三年七月六日の初診時、高原の症状を、いわゆる鞭打ちとしては中程度の少し軽いくらいであると診断したとの旨の部分も、前記(1) 認定の上京病院での治療の内容、症状の経過に照らせば、右推認を覆すに足るものではなく、また、昭和五五年一〇月以来、京都労災診療所等での治療が継続している事実も、前掲の京都労災診療所での各診断書(<書証番号略>)中の「一進一退」との記載や前記(1) 認定の京都労災診療所等での治療の内容、症状の経過から推認される高原の症状及び<書証番号略>の大谷医師の意見書に鑑みれば、何ら右推認を妨げるものではない。

(3)  以上論じたところにより、高原は、昭和五三年七月上旬ころには、治癒の状況に至ったものであり、それ以降の労災保険給付は支給要件を欠いているものと認めることができる。

(三) 請求原因4(三)(林の治癒の時期について)

原告アオイ自動車は、林の治癒の時期は、林への労災保険給付の支給が打切られた昭和六一年八月三一日よりも前であると主張しているので、以下、この点につき判断する。

(1)  <書証番号略>、証人姫野の証言、証人林の証言によれば、林は、本件事故当日の昭和五三年七月八日以来、城北病院で、昭和五五年三月一日以来、上京病院で、それぞれ治療を受けていたこと、城北病院での治療内容は、注射、飲み薬、マイクロ、マッサージであったこと、林としては、昭和五四年春ころには、症状がずっと横ばいになって、目に見えて楽になることはないように感じていたこと、上京病院の姫野医師は、昭和五五年一〇月以来、京都上労働基準監督署長に毎年一回提出された林の診断書(<書証番号略>)に、毎年、「症状、一進一退」である旨記載していたこと、昭和五七年以降の上京病院のカルテ(<書証番号略>)での林の治療に関する指示内容は、昭和五七年当時は「マッサージ、トレーニング、マイクロ、ケンイン」とあり、翌五八年には、「腰ケンイン」の指示が加わったものの、以後はほとんど変わりがないこと、京都上労働基準監督署長は、昭和六一年五月三〇日、上京病院に対し、労災保険法四九条に基づき、林の症状に関する意見書の提出を求め、同年六月一三日に同病院姫野医師から意見書(<書証番号略>)が提出され、右意見書には、「治療は症状の改善に有効である」、「症状固定時期未定」との記載のあること、京都上労働基準監督署長は、昭和六一年六月一八日、上京病院に対し、再度、労災保険法四九条に基づき、林の症状に関する意見書の提出を求めたところ、同年七月一七日に姫野医師から意見書(<書証番号略>)が提出され、右意見書では、「治療内容は……対症療法的に有効」、「症状が……一進一退……があっても全体として持続しているという点では、……固定的と考える。」との記載になっていること、姫野医師は、昭和六一年九月三〇日、林の診断書(<書証番号略>)を作成し、「症状固定的となった」との記載をしたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

(2)  右認定事実を総合すると、昭和五四年春ころの林自身の自覚症状の内容、姫野医師作成の昭和五五年一〇月以来の毎年の診断書(<書証番号略>)中の「症状、一進一退」との記載、上京病院での治療内容によれば、林の症状は、昭和五五年一〇月ころ以降は、治療効果が一時的なものになっていたことが十分に推認でき、右時期を以て、林の治癒時期と認めることができる。

右認定に反する、証人姫野の証言中の「症状の一進一退とは、治療効果のあることを指す」との旨の部分は、供述の前後で矛盾、齟齬があって措信しえず、姫野医師のいう「一進一退」も、結局は、文字どおりに、治療効果が一時的なものに止まって、症状の永続的な軽減ではなくなっていることに他ならないものと認められ、また、右認定を左右する証拠もない。

(3)  以上より、林は、昭和五五年一〇月ころには、治癒しており、それ以降の労災保険給付は支給要件を欠いているものと認めることができる。

3  請求原因5について

(一) 請求原因5(一)の事実のうち、労働者災害補償保険制度が、全国の事業主の保険料と国の財政負担によって運営され、労働基準監督署の署長らが、その公正な運営を管掌していること、高原、林の両名の傷病名、高原の治療が昭和五二年三月二一日以来継続し、林の治療が昭和五三年七月八日以来継続していたこと、林に係る上京病院の医師の診断書に、症状が「一進一退」であると常に記載されていたことは、当事者間に争いがない。

(二) 請求原因5(一)(京都上労働基準監督署長等の過失)について

前記2(二)、(三)認定のとおり、高原は、昭和五三年七月上旬ころには、治癒の状況に至り、それ以降の労災保険給付は支給要件を欠いているし、林は、昭和五五年一〇月ころには、治癒しており、それ以降の労災保険給付は支給要件を欠いているのであるが、原告アオイ自動車は、かかる支給要件を欠いた労災保険給付がされたことにつき、京都上労働基準監督署長等において各種調査権限を行使しなかった過失があると主張するので、以下、この点につき、判断する。

(1)  労働基準監督署長等が労災保険法所定の各種調査権限をいつ、どのように行使するかは、原則的には労働基準監督署長等の自由裁量に委ねられているものの、労働基準監督署の署長及び係官等が、提出を受けた診断書等の資料その他諸般の事情に照らして、労災保険給付を受け、または受けようとする労働者の症状につき客観的に疑いが持たれるにもかかわらず、前記各調査権限を行使しないときは、右不作為が、労働基準監督署の署長等に調査義務違反の過失があり、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けると解することは、先に原告ギオン自動車の請求に対する判断3(二)(2) <1>において判示したとおりである。

(2)  高原関係について

前記当事者間に争いがない事実に加えて、前記2(二)(1) の認定事実のうち、京都上労働基準監督署長に毎年一回提出されている京都労災診療所の治療担当医作成に係る高原の診断書(<書証番号略>)のほとんどに、症状は「一進一退」である旨記載されていたこと、これらの診断書の「一進一退」との記載は、文言それ自体からも、もはや患者に対する治療効果があがらず、一時的なものになっていることを強く窺わせ、労災保険給付を受ける労働者の症状につき客観的に疑いを持たせるものであること、そのような記載のある最初の診断書は、すでに昭和五五年一一月一二日に提出されている(<書証番号略>)こと、前記認定の昭和五五年ころまでの高原の治療の内容及び経過等によれば、京都上労働基準監督署長等が、昭和五五年一一月一二日に提出された高原の診断書(<書証番号略>)の提出を受けた後、直ちに本格的な調査活動をしていれば、同年中には、高原に対する労災保険給付の支給を打ち切ることが可能であったとみるべきであることを総合すると、京都上労働基準監督署長等は、本件事故発生以来、実に約三年八カ月もの長期間が経過した時点である昭和五五年一一月一二日に提出された高原の診断書に、症状が「一進一退」との記載があったのだから、右診断書の記載からは通常高原の症状につき客観的に疑いが生ずるものというべきであり、治療医に対し更に精密な診断を求めたり、信頼のできる医療機関による厳格な診察を求める等、労災保険法所定の各種調査権限を適宜行使して、高原の症状を的確に把握した上、高原に対する労災保険給付の不支給処分をすべき義務があったのに、これを怠り、医師の診断書の存在のみに頼って、漫然と高原に対する労災保険給付を続けた過失があったものと認めることができる。

(3)  林関係について

前記2(三)(1) の認定事実のとおり、上京病院の姫野医師は、京都上労働基準監督署長に毎年一回提出されている林の診断書(<書証番号略>)に、毎年、「症状、一進一退」である旨記載していたことが認められ、これらの診断書の「症状、一進一退」との記載は、患者に対する治療効果があがらず、一時的なものになっていることを強く窺わせ、労災保険給付を受ける労働者の症状につき客観的に疑いを持たせるものであるところ、そのような記載のある最初の診断書は昭和五五年一〇月一三日に提出されている(<書証番号略>)こと、前記認定の昭和五五年ころまでの林の治療の内容、経過等及び証人姫野の証言によれば、京都上労働基準監督署長等が、昭和五五年一〇月一三日に提出された林の診断書(<書証番号略>)の提出を受けた後、直ちに本格的な調査活動をしていれば、同年中には、林に対する労災保険給付の支給を打ち切ることが可能であったとみるべきであり、これらの事情に鑑みると、京都上労働基準監督署長等は、本件事故発生以来、約二年三カ月もの期間が経過した時点である昭和五五年一〇月一三日に提出された林の診断書に、「症状、一進一退」との記載があったのだから、右診断書の記載からは通常林の症状につき客観的に疑いが生ずるものというべきであり、治療医に対し更に精密な診断を求めたり、信頼のできる医療機関による厳格な診察を求める等、労災保険法所定の各種調査権限を適宜行使して、林の症状を的確に把握した上、林に対する労災保険給付の不支給処分をすべき義務があったのに、これを怠り、医師の診断書の存在のみに頼って、漫然と林に対する労災保険給付を続けた過失があったものと認めることができる。

(三) 請求原因5(二)(被告の責任)について

原告アオイ自動車は、右の京都上労働基準監督署長等の過失により支給要件を欠くことを看過したまま行なわれた労災保険給付により、後記4の損害を蒙ったから、被告には国家賠償法一条の損害賠償の責任がある。

4  請求原因6(損害)について

原告アオイ自動車の損害は、実際に支払った労働保険料と、高原及び林に対する支給要件を欠いた違法な保険給付がなかったと仮定した場合に算出される労働保険料との差額である。

ところで、前記2判示のように、高原、林の両名に対する昭和五六年一月一日以降の労災保険給付は、本来、原告アオイ自動車の労災保険料算定の基礎とはなしえなかったはずのものといえるが、原告アオイ自動車は、林につき、昭和五七年一月一日以降の同人に対する労災保険給付についてのみ、その旨主張しているから、右主張の限度内で、高原に対する昭和五六年分以降の労災保険給付及び林に対する昭和五七年分以降の労災保険給付が原告アオイ自動車の労働保険料算定の基礎から除外されるべき部分であることになる。

(一) 請求原因6(一)(労働保険料制度の概略)につき、労働保険料算定方式は、先に原告ギオン自動車の請求に対する判断6(一)において判示したとおりである。

(二) 請求原因6(二)の事実のうち、原告アオイ自動車が、メリット制の適用を受けること、高原及び林に対する労災保険給付は業務災害に関してなされたものであること、原告アオイ自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五三年から平成元年までの各年の労災保険給付の額(別紙1)(但し、昭和五四年、同六一年の各年の労災保険給付の額を除く。)、原告アオイ自動車が従業員に対して支払った昭和五三年度から平成二年度までの各年度の賃金総額(別紙4)、原告アオイ自動車が現実に支払った昭和五三年度から平成二年度までの各年度の確定保険料の額(別紙5)、原告アオイ自動車の昭和五六年度から平成二年度までの各年度の概算保険料(別紙6)は、当事者間に争いがない。

(三) 調査嘱託の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告アオイ自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五四年、同六一年の各労災保険給付の額が、それぞれ三二、〇四〇、四〇三円、一一、五六七、五七九円であることが認められる。

(四) ところで、高原に対する支給要件を欠いた違法な昭和五六年分以降の、林に対する支給要件を欠いた違法な昭和五七年分以降の各労災保険給付がされたことで、昭和五六年の次年度である昭和五七年度から平成二年度までの間の収支率の算出式(別表(一)記載。但し、昭和六三年度以降は、別紙18記載)の分子中の、「基準となる一二月三一日以前三年間(但し、昭和六三年度以降は、基準となる三月三一日以前三保険年度間)に業務災害に関して支払われた保険給付の額」の部分に、本来含まれないはずの額が加算されたことになる。そこで、昭和五七年度から平成二年度までの間の労働保険料につき、その算定をしなおすこととなる。

別紙39(「算定し直した、原告アオイ自動車に係る業務災害に関する保険給付額」と題するもの)は、高原に対する昭和五六年分以降の、林に対する昭和五七年分以降の各労災保険給付の額及び原告アオイ自動車に係り業務災害に関して支払われた昭和五四年から平成元年までの各年の労災保険給付の額、高原に対する昭和五六年分以降の、林に対する昭和五七年分以降の各労災保険給付の合計額(昭和五六年から平成元年まで)とを挙げた上、昭和五四年から平成元年までの各年につき、右の業務災害に関して支払われた各年の労災保険給付の額から高原に対する昭和五六年分以降の、林に対する昭和五七年分以降の各労災保険給付の合計額を引いた結果(これが、算定し直した、原告アオイ自動車に係る業務災害に関して支払われた各年の労災保険給付の額となる)を示したものである。

(五) 前記(二)の当事者間に争いがない事実に加え、前記(一)の保険料算定方式、右(三)、(四)認定の事実をもとに、以下、原告アオイ自動車の昭和五七年度から平成二年度までの労災保険率の修正計算を行うと、順次、別紙40ないし48のとおりとなる。この結果、原告アオイ自動車の労災保険率は、昭和五七年度ないし同五九年度はいずれも八・四、同六〇年度は六・三、同六一年度は五・七、同六二年度、同六三年度は各六・〇、平成元年度、同二年度は各五・四となる(但し、単位はいずれも千分の一)。

別紙49(「原告アオイ自動車損害額算定表」と題するもの)は、原告アオイ自動車の昭和五七年度から平成二年度までの賃金総額(別紙4より)、右の別紙40ないし48の結果により算出された修正計算後の昭和五七年度から平成二年度までの労災保険率及び昭和五七年度から平成二年度までの確定保険料(実際の支払保険料。別紙5より)を挙げた上、右各年度の賃金総額に右各年度の労災保険率を乗じて右各年度の修正計算後の労働保険料を導き、更に、この修正計算後の保険料と右各年度の確定保険料との差額を示したものである。右各年度の差額を順次挙げると、昭和五七年度ないし同五九年度は〇円、同六〇年度は二、四〇一、五九二円、同六一年度は三、一五四、八七二円、同六二年度は二、八九二、五〇六円、同六三年度は三、〇一六、二六〇円、平成元年度は一、九三三、九〇二円、同二年度は〇円となる。

右各差額の合計金一三、三九九、一三二円が、高原に対する支給要件を欠いた違法な昭和五六年分以降の、林に対する支給要件を欠いた違法な昭和五七年分以降の各労災保険給付がされたことによって、原告アオイ自動車の蒙った損害の額となる。

(六) 原告アオイ自動車が、昭和五七年度から平成二年度までの各年度の労働保険料につき、遅くとも各年度の最終日である三月三一日までに支払っていることの点については、被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。

これより、各年度の損害に対する遅延損害金請求の起算日(すなわち、各年度の労働保険料の支払日の翌日)は、遅くとも、各々の次年度の初日である四月一日となるものと認めることができる。

二  結論

以上によれば、原告アオイ自動車の本訴請求は、損害賠償金一三、三九九、一三二円及び内金二、四〇一、五九二円に対し昭和六〇年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六一年四月一日から、内金三、一五四、八七二円に対し昭和六一年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六二年四月一日から、内金二、八九二、五〇六円に対し昭和六二年度の保険料を支払った日の翌日以降である昭和六三年四月一日から、内金三、〇一六、二六〇円に対し昭和六三年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成元年四月一日から、内金一、九三三、九〇二円に対し平成元年度の保険料を支払った日の翌日以降である平成二年四月一日から、各支払い済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言はこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小北陽三 裁判官 岡健太郎 裁判官 加島滋人)

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